稲葉さんのお話

始めに、講師の稲葉剛さん(NPO自立生活サポートセンターもやい理事長)より、「ワーキングプアとハウジングプアからの脱出」と題してお話をいただきました。
(以下、メモ的に)

日本の住宅問題
90年代半ばから路上生活者の支援活動を行ってきた経験から、2008年秋以降の「派遣切り」によって労働者が失業と同時に住まいを失う状況は、日雇い労働者層の置かれていた状況が急速に中間層に拡大してきたと捉えられる。
中でも、住宅の問題は日本では自己責任の問題として「甲斐性」などと言われているが、アメリカに国民皆保険制度が無いのを日本人が違和感を感じるのと同様に日本に住宅保障の制度が無いことにヨーロッパの人々は違和感を表明する。ヨーロッパの国々では、住宅セーフティネットがあり、仕事を失っても路頭には迷わせないという合意があって、新宿の炊き出しに並んでいる人はヨーロッパでは理解できない。
住宅と「溜め」
困難に陥った時に頼れるさまざまな資源を湯浅誠は「溜め」と言ったが、労働の状況としては、現在失業率は平均5.1%、若年層では10%を超えており、失業していなくても登録型派遣や警備業などの仕事では、仕事がある時のみ働く「半失業」の状況になっている。そのような中で特に東京など都市部では家賃の負担は大きく、収入の3〜4割を住宅費が占めると非常に厳しい状況になる。
日雇い派遣が雇用のコマ切れ化の象徴であるとすると、居住のコマ切れ化の象徴は2000年から導入された定期借家制度である。借地借家法では、借家人の権利は守られており、家賃滞納でもすぐに出る必要はないが、定期借家導入後、3ヶ月、6ヶ月といった短期の契約や、滞納があればすぐに退去を求められる例が増えてきている。
そもそも、日本に住宅政策はあったのか?
震災後の被災者への住宅確保は厚生労働省がやるのか、国土交通省がやるのか?はっきりしない。どこが住宅政策を担うのか?
日本の唯一の施策は「持ち家政策」…戦後の労働政策とも共犯関係、「社畜」(佐高信)とも言われる。先日亡くなった笹森清元連合会長によれば、福田内閣の時にオイルショック後、政・官・財で談合した。その中で企業の福利厚生として社宅を充実させてきた。
かつては若いうちは社宅や住宅手当という形で住宅支援をして、一定の年齢になるとローンを組んで家を買うという一定の道筋があった。
この世のありとあらゆる差別の見本市は不動産屋の窓口。失業、生活保護、外国人、母子家庭、セクシャルマイノリティだからダメ。国によっては入居差別を禁止する法律がある国もある。
一方で、公的住宅、公営住宅がどうなっているか?東京では石原都政下では、都営住宅は増えていない。またUR(旧公団)住宅も事業仕分けの対象になって削減の一途。独立行政法人になって採算性を重視し、超高層住宅をつくっていたが、本来の中・低所得者層の住宅としては意味がなく迷走中。もともとURは東北に少ないが、今回の震災でもあまり活用できていない。削減計画の中にあるから。
UR高幡台団地(日野市)では、耐震不足を理由に住宅を取り壊そうとして、住民の追い出し訴訟も行われている。この結果は今後の低所得者住宅の政策に影響を与えるだろう。低所得者層向けの公的な保証制度をつくれと言っている。
ドイツなどで取り組まれている「社会住宅」、NPOなど非営利団体が住宅を作って低所得者に貸し出した場合、公的な支援を行う仕組みも必要。まさに自由と生存の家が取り組んでいるようなやり方。
震災後の状況
福島では、先の生活が見えないのが一番きつい。
多くの人がすでに土地を去っている。
首都圏に避難してきても、福島原発への出稼ぎが行われている。
加須市での福島県双葉町長の義援金拒否事件が象徴する「お世話になっている」感覚。日本人の権利意識の問題でもある。
生活保護でも一緒。水際作戦に対しては申請同行をして突破してきた。しかし自治体が悲鳴を上げており、政令指定都市市長会で、有期保護や医療費の一部負担などが話され始めた。最近も国と地方の協議が当事者抜きで進められている。このまま有期保護が導入されると命の有期化が進む。
「避難所」とは、屋根があって食べ物があればいいという状況。避難所生活を理由に生活保護を停止する例も出てきている。生活保護制度が定めている範囲が本来の生存権ではない。生活保護制度は現在の利用できる資源に制約される。
本当の意味での生存権とは居住権+営生権。「営生権」=働くこと、なりわいを回復することへの支援。被災者も、派遣切りされた方も、救済される存在ではなく権利主体だということを考えながらその人たちと繋がっていきたい。「がんばろう日本」は個別のニーズを押さえつけるようなもの。